Eureka Photograph Blog

日々の写真、事柄など

PEN

Tue.30.08.2005
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 家で掃除をしていたら、引き出しから出てきた。

 私の両親も、私の祖父母も、みんな写真を撮ってきた。

またやってしまった

Fri.26.08.2005
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 遺伝子組み替え劣性頭痛伝達 2005年2月12日、ライブハウス神戸108

 Minolta X700 Cosina 24mm/F2.8 Natura 1600

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 ああ、またやってしまった。多重露光、、、、、、

 期せずして、2/12の遺伝子組み替え劣性頭痛伝達(注:ソロのバンド名です!!)と7/23のBlack Mondaysのコラボレーション、、、、。

 あれだけ注意しておいたのにフィルムの入れ替えでやってしまいました。これはこれで面白いのですけどね。

 つくづく思うのですが、フィルムってタイムマシーンです。

テーマ : ライブの写真 - ジャンル : 写真

フィルムスキャン

Thu.25.08.2005
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 ネガフィルムをスキャン。

 これがまた、とんでもなく時間がかかる。

活動的な日

Sat.20.08.2005
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 ボーリングに

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 ビリヤード

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 月を撮る。

 月がとても明るかったので撮ろうとしたのだけれども上手くゆかなかった。望遠もこれで精一杯。

風邪を引いています

Fri.19.08.2005
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 一週間ずーっと夏風邪が治りません。

スーパーアンギュロン

Mon.15.08.2005
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 リンダ リンダ リンダ やや観たい気持ちと、自らの高校生時代を思い出すのだろうなという気持ちと。

 写真などをパラパラと見ていてやや気になったレンズあり。super-angulon 21/3.4、ライカMシステム交換レンズ、周辺の光量落ちが凄まじいが気になる。カタログのスペックなどでは表現できないものがカメラやレンズには多すぎる。何よりその写真自体が雄弁に語りかけてくるのだから。

 少し調べてみると、

 スーパーアンギュロン 21mm F3.4、\238,000

 と、、、、まぁこんなものかと。ライカ関係では普通の値段です(しかも中古でこれです)。とても手が出ませんが。

衣笠山周辺探訪

Sat.13.08.2005
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 等持院

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 龍安寺

 暑い湿気の中、廊下を通る風が心地よい

トラックバック演習

Sat.13.08.2005
使い方がよくわかっていないので演習を、、、

Les Miserables

Fri.12.08.2005
Victor Hugo原作、邦題「ああ無情」、miserable(アクサンテギュ抜き)を直訳すれば惨めな、哀れな、すなわちles miserablesは不幸者、惨めな者。

 映画を観る。レ・ミゼラブルについての映画は多分多い。ドラマもあるだろうし、とにかく長い話のなので色々とあちらこちらで映像化されているはずである。今回観たのは映画版で英語。

 邦題の「ああ無情」は人生そのものを「無情」と表現しておきながら、法という一つの絶対的なものに対して向けられた言葉であり、その訳は深い意味を持ち合わせている。この点だけでなく、この法という絶対的なものへの対比として「神」がおり、その慈悲を示すという点で、やはりこの訳は巧みである。

 そして、そのそれぞれを背負う者として、ジャンバル・ジャントとジャベール警視が登場する。ジャンバル・ジャンは神とその慈悲を、ジャベールは法そのものを。

 「法が無慈悲であるか」という問いかけは危険である。法に慈悲が生じればそれはすなわち不均衡・不公平である。法が目指すところは自由・平等・平和である。それは厳格でなければならない。法が厳格さを失すれば齟齬が生じるのは歴史的に明白である(それゆえ、議会政治と司法そして法は王権から権力を奪う)。

 ところが、おそらく神の目指すのも自由・平等・平和である。あれれ、、、、。

 我々はどうも「神」というものに無頓着な人間である(同時に我々の周りには「神」と呼ばれる存在が多々いる。お稲荷さん、神社、道祖神、お客さん、、、、、、)。だから神が無慈悲であるか慈悲深いかを考えるまでもない。ただどうも直ちに何かを与えてくれる存在ではないというところが個人的な認識である。

 ならば「法」はどうか。これも直ちに何らかを与えてくれるものではない。ただその目的を果たす手段はイェーリングの説くところの「闘争」そのものである。神が闘争を好むか好まないかまでは知らないが、法は何らかの形で闘争を伴う。

 どうもやはり「法」と「神」というのは似ています。

 法の場合は、それに生命を吹き込むのは人間に他ならないのですが。

2005年の夏

Thu.11.08.2005
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 この年の夏もまた暑かった。

 と、後年思い出すのだろうか。

夏の風景

Wed.10.08.2005
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 あまり美味しそうに写らなかった、、、かき氷に、アイスコーヒー、夏を乗り切るために。

 これまでの日記を大量にブログ化。非常に手間である。写真が結構な数、、、

ブログ化開始

Mon.08.08.2005
他のところに日記を置いていましたが、サービス停止の知らせを受け、移転先を探していました。

とりあえず過去日記も書けるようですし、写真もかなり掲載可能のようなのでコチラでブログ化開始です。

花火写真

Sun.07.08.2005
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 神戸の花火写真アップしました。
 EUREKA PHOTOGRAPH
 http://eureka-t.hp.infoseek.co.jp
 にて。

テーマ : 花火 - ジャンル : 写真

みなとこうべ海上花火大会

Sat.06.08.2005
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 神戸海上花火大会
 今年は三脚を持っていって撮る。

テーマ : 花火 - ジャンル : 写真

意志と意思

Fri.05.08.2005
 普通何か物事を実行する「意志」とか、行動する「意志」というように、心理的に何かを実行しようとする考え・思考を指す言葉については一般的に「意志」を使うと思います。

 ところが滅多にこの「意志」という漢字を用いない人達もおります。

 「意思表示」というように「意思」という漢字を用い、決して「意志表示」という書き方をしない者。それは法律学を少しなりともかじった者です。

 法律を勉強した者は大体始めにこの「意思」を使うように教えられます。しかしながら、なぜ「意志」という漢字を使わずこの「意思」とするのかまでは往々にして説明がなされません。

 で、広辞苑を引いてみたところ(抄)、

 意志:1.理性による思慮・選択を決心して実行する能力。例)意志薄弱。(心)ある行動をとることを決意し、かつそれを決意し、かつそれを生起され、持続させる心的機能。2.こころざし。

 意思:考え。おもい。例)意思表示

 これではイマイチ違いがわかりません。ほとんど一緒です。なお、この「意志」と「意思」については法律辞書などでも特に説明はありません。いきなり「意思能力」などという言葉が飛び込んでくるばかり。やはりどうもよくわかりません。

 仏語では意志と意思についてはvolonteとintetionという語があります(アクサンテギュ抜き、以下同)。しかしこの語は意志と意思に正確に対応する語ではないようです。すなわち、

 volonte:1.意志、意思、avoir de la - 意志が強い、agir de sa propre - 自らの意志で行動する、principe de l'aoutonomie de la - 意思(私的)自治の原則、2.意図、意向、望み(略)、3.(法)意思、manifestion de - 意思表示、- declaree 表示された意思(明示の意思表示か?黙示の意思表示と対?)、- unilaterale 一方的意思(片面的意思?)、4.わがまま、気まま

 intention:1.意向、意図、意思;もくろみ、目的、a cette - その目的で、avec - 故意に、わざと、sans - 故意ではなく、うっかり、2.(法)犯意(= - delictueuse)、- de nuire 害意

c.f intentionnel(le):意図的な、故意的の、delit - 故意犯(対 delit d'imprudence:過失犯)

 なんとなくわかるような、、、ドイツ語からか、、、?

 どうも「意志」の方が言葉として使われる範囲が広く、「意思」についてはやや限定的で明確な内心的な心理についての言葉のような。また「意志」というような漠然とした心持ちよりは、「意思」の方が実行行為を伴う、または実行行為に着手しようという内意を持ち合わせているように感じます。

 declaration de volonte:意思表示

 manifester(declarer) la volonte:意思表示する

 ひょっとしたらこの話続くかもしれません。

意志と意思 その2(未完)

訃報

Thu.04.08.2005
 その昔、寝屋川のヴィンテージバー(移転前)でザ・怒戯挫(どげざ)というバンドを撮ったことがあります。

 その当時ベースだった平間氏が、亡くなられたことを本日知りました。

 メンバーチェンジ後のどげざのライブを見たことはないのだけれども、あの頃のライブは本当に楽しかった。もう何年も前なのに、なぜか当時の歌詞を未だに覚えている。温厚な感じでベースを弾き、「ワン・ツー・サン・シー」とカウントする平間氏を覚えています。

 人が死んでしまうということはとても悲しいことなのだけれども、その人を忘れてしまうということはもっと悲しいことだ。

 いろいろな人が亡くなってゆくけれど、せめて忘れないでいようと思う。

 平間氏のご冥福をお祈りします。

またライブに行って来ました

Wed.03.08.2005
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 なんだか立て続けに、しかも急に今日はFOGのライブがありました。新メンバーで初めてのライブです。

 パッパとカメラ機材を選んで最低限の装備で新長田サイト神戸へ。

 随分久しぶりの、そして変化したFOGを観る。以前のような荒削りで飛び出しそうな激しさは今のFOGにはない。かなり落ち着いた、そして言葉を大事にしているような印象を受けた。

 自分のペースを作りながら、レンズを変えて数枚撮る。

 最後の歌はゆっくり聴かせてもらった。伸びやかさと、間があって非常に好きな「俺の唄」。

 ライブ終了後、aurora@ドラマーナガツ氏と始めてゆっくりチューハイを飲みながら話す(空腹だったためか私はたちまち酔ってしまった)。「どれぐらい狙ったものが撮れているのか」という問いに半々ですかね(つまり50%)と答えてしまったのだけれども、本当にこれは怪しいところだ。実際は三割ぐらいといってもいいぐらい。

 それにこれは本当にジレンマなのだけれども、カメラマンというのは正確にはシャッターを切った瞬間の映像というのは見ていない。一眼レフカメラというのはシャッターを切った瞬間ミラーがはね上がる。この時ファインダー内は真っ暗で、カメラを構えている本人はカメラがとらえた映像を全く見ていない、ということになる。

 こんなことを考えると、本当に「狙ったもの」を撮っているのか、という問いへの答えはますます怪しくなるばかりですね、、、、。

 平日にお疲れ様でした。

テーマ : ライブの写真 - ジャンル : 写真

暑い

Tue.02.08.2005
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 華でも撮ろう、名も知らぬ華。

回数券

Mon.01.08.2005
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 どうしてこんなに回数券を持っているのでしょうね?

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